大徳寺ってどんなところ?歴史・見どころ・アクセスについて徹底解説
臨済宗大徳寺派の大本山として700年以上の歴史を刻む大徳寺は、京都屈指の禅寺として知られています。
一休宗純や千利休など、日本の歴史に名を残す高僧や文化人を輩出し、茶道との深い結びつきでも知られています。
境内には国宝の方丈や唐門をはじめ、24の塔頭が立ち並び、室町時代から江戸時代にかけての貴重な建造物や庭園が残されている京都有数の観光名所です。
特に豊臣秀吉が織田信長の菩提を弔うために建立した総見院は、戦国時代の歴史を今に伝える貴重な建造物です。
静寂に包まれた広大な境内では、日本の伝統文化と禅の世界に触れることができます。
本記事では、そんな大徳寺について詳しく探究してみましょう。
大徳寺ってどんなところ?
京都市北区に位置する大徳寺は、臨済宗大徳寺派の大本山です。
京都有数の広さを誇る境内には、24の塔頭寺院が点在し、多くの国宝や重要文化財が残されています。
本坊には国宝の方丈や唐門、重要文化財の三門(金毛閣)、仏殿、法堂などの荘厳な建造物が南北一直線に並びます。
特に方丈前庭の枯山水庭園は国の特別名勝に指定され、その前に建つ唐門は豪華な彫刻で有名です。
境内の塔頭のうち、枯山水庭園で有名な大仙院、細川家ゆかりの高桐院、大友宗麟が建立した瑞峯院、最古の塔頭である龍源院の4カ所は常時拝観が可能です。
また、茶道との関わりも深く、重要文化財の茶室も多く残されています。
大徳寺の歴史
大徳寺は、臨済宗大徳寺派の大本山として700年以上の歴史を刻む京都屈指の禅寺です。
その歴史は日本の中世から近世にかけての政治、文化の変遷と深く結びついています。
本章では、大徳寺の歴史について紐解いていきましょう。
創建と初期の発展
正和4年(1315年)、大燈国師・宗峰妙超が赤松則村の帰依を受け、紫野の地に小庵を建立したのが始まりです。
花園天皇と後醍醐天皇の両統から崇敬を受け、1334年には南禅寺と同格の五山第一位と定められました。
しかし、後に足利政権との対立により十刹第九位に降格され、独自の道を歩むことになります。
この時期、大徳寺は禅の修行道場として厳しい規律を保ち、多くの優れた僧侶を輩出しました。
特に大燈国師の弟子である関山慧玄は、大徳寺の基礎を固めた重要な人物として知られています。
一休宗純による復興
応仁の乱(1467年)で伽藍のほとんどが焼失しましたが、「一休さん」として知られる一休宗純が大徳寺第47世住持となり、堺の豪商・尾和宗臨らの支援を得て復興を果たしました。
一休は厳しい戒律と自由奔放な言動で知られ、その人格と教えは多くの人々を魅了しました。
この時期から茶道との結びつきが深まり、村田珠光、武野紹鷗、千利休など多くの茶人が大徳寺と関わりを持つようになります。
特に千利休は大徳寺の塔頭・聚光院に茶室「待庵」を建てるなど、大徳寺を舞台に侘び茶の完成へと向かいました。
戦国時代から近世への発展
1582年、豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み、菩提寺として総見院を建立しました。
その後、多くの戦国武将により塔頭が次々と建立され、境内は飛躍的に拡大しました。
現在の本坊伽藍の大部分はこの時期に整備されたもので、24の塔頭を持つ大寺院として発展。
江戸時代に入ると、幕府の庇護を受けつつも、独立した禅宗寺院としての地位を保ちました。
この時期、大徳寺は禅の修行道場としてだけでなく、文化の中心地としても重要な役割を果たしました。
特に茶道や墨蹟など、禅文化の発展に大きく貢献し、その影響は現代にまで及んでいます。
大徳寺の見どころ
京都屈指の禅寺である大徳寺には、国宝や重要文化財の建造物、庭園など数多くの見どころがあります。
700年以上の歴史を持つ境内には、禅宗寺院の典型的な伽藍配置が今も残され、特に以下の3つは、訪れた際に必ず立ち寄りたいスポットです。
- 国宝の方丈と唐門
- 重要文化財の法堂と「鳴き龍」
- 24の塔頭寺院
①国宝の方丈と唐門
方丈は前後2列、左右4列の計8室を持つ特異な形式で、内部には狩野探幽による80面余りの襖絵が残されています。
特に「竹虎之図」「松鷹之図」は傑作として知られ、探幽の技量の高さを今に伝えているのです。
方丈前の南庭は白砂が美しい枯山水庭園で、国の特別名勝に指定されています。
正面には豊臣秀吉の聚楽第から移築されたとされる国宝の唐門があり、龍や鯉などの豪華な彫刻が施されています。
唐門の彫刻は、桃山時代の装飾芸術の粋を集めた傑作とされ、特に龍の彫刻は生き生きとした躍動感が特徴です。
②重要文化財の法堂と「鳴き龍」
法堂の天井には、狩野探幽35歳の時の力作「雲龍図」が描かれています。
手を叩くと龍が鳴いたように音が響くことから「鳴き龍」と呼ばれ、その独特な音響効果は多くの参拝者を魅了しています。
音は法堂の真下で最も良く聞こえ、場所によって音の響き方が異なるのも特徴です。
また、法堂内部には重要文化財の仏像や仏具も安置されています。
特に本尊の釈迦如来像は、鎌倉時代の作とされる優れた仏像です。
法堂の前には白砂の庭があり、禅寺らしい厳かな雰囲気を醸し出しています。
③24の塔頭寺院
境内には24の塔頭寺院が点在し、それぞれが貴重な文化財を有しています。
特に大仙院の枯山水庭園は、室町時代を代表する名園として知られ、国の特別名勝に指定されています。
高桐院には細川ガラシャの墓所があり、戦国時代の悲劇の姫として知られる彼女の最期を偲ぶことができるでしょう。
総見院は織田信長の菩提寺として豊臣秀吉が建立し、信長の位牌が安置されています。
また、聚光院には千利休の墓があり、茶道との深い関わりを今に伝えているのです。
通常は4つの塔頭のみが公開されていますが、春と秋には特別公開も行われ、普段は見ることのできない貴重な文化財や庭園を鑑賞することができます。
大徳寺のおすすめ観光シーズンは?
大徳寺は四季折々の美しさを楽しめる寺院です。
特に秋の10月下旬から12月上旬は紅葉の見頃を迎え、境内の庭園や塔頭寺院で美しい景色を楽しむことができます。
黄梅院では、苔と紅葉のコントラストが美しく、晩秋には散り紅葉が赤いじゅうたんのように広がります。
また、春と秋には通常非公開の塔頭寺院が特別公開され、貴重な文化財や庭園を拝観できる機会です。
混雑を避けるなら、特別公開期間でも比較的空いている平日の午前中がおすすめです。
静寂な雰囲気の中で、禅寺の荘厳な建造物や庭園を楽しむことができます。
大徳寺のアクセス
大徳寺は京都市北区に位置し、複数の交通手段でアクセスできます。
観光客の多くは京都駅や金閣寺から訪れるため、それぞれの行き方を詳しく解説します。
京都駅からのアクセス
最も効率的な方法は、地下鉄とバスを組み合わせる方法です。
京都駅から地下鉄烏丸線で北大路駅まで乗車(約13分、260円)し、北大路バスターミナルから市バスに乗り換えます。
バスは1・101・102・204・205・206系統などが利用可能で、「大徳寺前」バス停まで約5分です。
所要時間は合計で約32分、料金は490円です。
直通バスの場合は市バス206系統で約40分かかりますが、乗り換えの手間がありません。
金閣寺からのアクセス
金閣寺から大徳寺へは、市バス12系統または204系統に乗車し「大徳寺前」で下車するのが便利です。
所要時間は約15分で、バス料金は230円です。
徒歩の場合は約20分で到着します。
金閣寺から大徳寺までの道のりには立命館大学や佛教大学などがあり、観光客も多く歩きやすい道です。
特に秋の紅葉シーズンは、寺院を巡りながら京都の風情を楽しむことができます。
大徳寺の拝観料・参観時間
大徳寺の拝観料・参観時間をまとめた表を以下に作成しました。
項目 | 内容 |
---|---|
参拝時間 | 9:00~16:00(受付終了) |
拝観料金 | 境内:無料 本坊(特別公開時):大人800円、小学生400円 常時公開の塔頭: – 龍源院:大人400円、小中学生300円 – 大仙院:大人500円、子供300円 – 瑞峯院:大人400円 |
塔頭寺院 | 常時公開:龍源院、瑞峯院、大仙院、高桐院 特別公開:黄梅院、興臨院、総見院など(春・秋期限定) |
お茶席 | 抹茶:300円~500円(塔頭により異なる) |
休日 | 年中無休(塔頭により異なる) |
所要時間 | 2~3時間 |
大徳寺のおすすめ周辺スポット
大徳寺の周辺には、歴史ある見どころが点在しています。
特に以下の2つのスポットがおすすめです。
今宮神社
健康長寿、良縁成就のご利益で知られる神社です。
広い境内には「本社」や「疫社」をはじめ、様々な参拝スポットがあります。
特に「阿保賢(あほかし)さん」と呼ばれる神占石は、重さで願いごとの成就を占うことができます。
石を持ち上げて軽く感じれば願いが叶うとされているスポットです。
参道には2軒のあぶり餅屋があり、焦げ目の香ばしさと甘いたれが絶妙な名物「あぶり餅」は、疫病封じ・厄除けのご利益があるとされています。
また、毎年6月の「夏越の祓」では茅の輪くぐりが行われ、多くの参拝者で賑わいます。
建勲神社
船岡山山頂に位置し、境内からは大文字山や京都市街を一望できる神社です。
織田信長をご祭神として祀り、武将ファンはもちろん、近年は刀剣ファンからも注目を集めています。
御朱印や御朱印帳、授与品にも信長や刀剣をモチーフにしたデザインが取り入れられており、ユニークな参拝スポットとして人気です。
毎年6月には織田信長の命日にあわせて「信長忌」が開催され、甲冑姿の武者行列や鉄砲隊の演武が行われます。
また、境内には信長の銅像や、信長が使用したとされる鉄砲の複製などが展示されており、歴史ファンにとっても見どころの多い神社です。
金閣寺周辺でのお食事は錦鶴へ
お食事処錦鶴は、京都金閣寺から徒歩3分のところにあり、四季折々の京野菜や湯葉、湯豆腐といった京都の特産品を使用した料理を提供しております。
特に、直径30cmの大きなお椀に盛り付けられた「金閣弁当」は当店の名物で、これまで多くの方に愛されてきました。
錦鶴は、修学旅行でご利用いただける弁当から、お祝いや法要などの特別な機会にも対応可能な豪華な御膳まで、幅広いメニューを取り揃えています。
京都の食文化を体験したい方、大切な人とのお食事の場として、また日常的な和食を楽しみたい方は、ぜひ錦鶴をご利用ください。
質の高い料理と心のこもったサービスで、お客様の食事時間と京都旅行の思い出を豊かにするお手伝いをさせていただ蹴ますと幸いです。
大徳寺についてよくある質問
大徳寺の「鳴き龍」とは何ですか?
法堂の天井に描かれた狩野探幽35歳の時の力作「雲龍図」のことです。
法堂の真下で手を叩くと龍が鳴いたように音が響くことから「鳴き龍」と呼ばれています。
探幽の方丈障壁画とは異なり、力強い筆遣いで描かれ、見る者を圧倒する迫力があります。
国宝の唐門はなぜ「日暮門」と呼ばれているのですか?
豊臣秀吉の聚楽第の遺構と伝えられる唐門には、麒麟や孔雀、牡丹、波など約40種類の彫刻が色鮮やかに施されています。
その彫刻の美しさに見とれていると一日が暮れてしまうことから「日暮門」と呼ばれるようになりました。
大徳寺はなぜ茶道と深い関係があるのですか?
一休宗純が住持となって以降、村田珠光、武野紹鴎、千利休など多くの茶人が大徳寺と関わりを持ちました。
特に千利休は塔頭・聚光院に茶室「待庵」を建てるなど、大徳寺を舞台に侘び茶の完成へと向かいました。
三門「金毛閣」には、どんな歴史的エピソードがありますか?
応仁の乱後、連歌師宗長の寄進で1階部分が完成し、その後千利休により2階部分が設けられました。
楼上に草鞋を履いた利休像を安置したことが秀吉の怒りを買い、利休切腹の一因となった有名なエピソードが残されています。
まとめ
臨済宗大徳寺派の大本山である大徳寺は、1315年に大燈国師・宗峰妙超によって創建された京都屈指の禅寺です。
境内には国宝の方丈や唐門をはじめ、24の塔頭が点在し、室町時代から江戸時代にかけての貴重な建造物や庭園が残されています。
一休宗純や千利休など、日本の歴史に名を残す高僧や文化人を輩出し、特に茶道との深い結びつきで知られている観光スポットです。
通常は4つの塔頭のみが公開されていますが、春と秋には特別公開も行われ、普段は見ることのできない貴重な文化財を鑑賞することができます。
ぜひ京都を訪れた際は、足を運んでみてください。