光明寺ってどんなところ?歴史や見どころ・アクセスについて徹底解説

西山のふもと、粟生広谷に佇む光明寺は、浄土宗の開祖・法然上人が初めて念仏の教えを説いた「浄土門根元地」です。
源平合戦の武将・熊谷次郎直実が出家して創建した歴史は800年以上になります。
別名「もみじ寺」と呼ばれ、約500本のカエデが秋には参道を真紅に染め上げるでしょう。
西山浄土宗の総本山として今も信仰を集め、法然上人自作と伝わる「張子の御影」を本尊とする御影堂をはじめ、壮麗な伽藍が私たちを迎えてくれます。
本記事では、そんな光明寺について詳しく解説していきます。
光明寺ってどんなところ?

光明寺は、京都府長岡京市にある西山浄土宗の総本山です。
浄土宗の開祖・法然上人が初めて念仏の教えを説いた「浄土門根元地」として知られています。
寺の起源は1198年、源平合戦で名高い熊谷次郎直実が出家して蓮生法師となり、この地に念仏三昧院を開いたことに始まるのです。
「光明寺」の名は、法然上人の遺骸から放たれた光明の奇跡にちなんでいます。
広大な境内には御影堂や阿弥陀堂など33棟の堂宇が点在し、そのうち17棟が市の文化財に指定されています。
特に秋の紅葉シーズンには、「もみじ参道」と呼ばれる約200メートルの参道が約250本のカエデで覆われ、息をのむ美しさとなるでしょう。
京都屈指の紅葉スポットとして多くの人が訪れます。
光明寺の歴史
西山浄土宗総本山・光明寺の歴史は800年以上にわたります。
法然上人が初めて念仏の教えを説いた聖地であり、源平の武将・熊谷直実が出家して開いた寺でもあります。
その後、嘉禄の法難という危機を経て「光明寺」と改称され、西山浄土宗の中心として発展してきました。
数々の災害や戦乱を乗り越えて今日に至るその歴史を紐解いてみましょう。
浄土門根元地と蓮生法師の開基
光明寺の始まりは、浄土宗開祖・法然上人と深く関わっています。
承安5年(1175年)、法然上人が43歳の時、この粟生の地で初めて念仏の教えを説きました。
これは若き日の法然が比叡山を下りた際、粟生の長者・高橋茂右衛門に「真の教えを見つけたらまず私たちに説いてほしい」と約束したことを、20年の歳月を経て果たしたものです。
その後、建久9年(1198年)、源平合戦で平敦盛を討ったことに苦悩した熊谷次郎直実が、法然上人の弟子となって法力房蓮生と名乗り、この地に念仏三昧院を開きました。
彼は法然を開山一世と仰ぎ、自らを二世として寺の基礎を築いたのです。
光明の奇瑞と寺名の由来
「念仏三昧院」が「光明寺」と呼ばれるようになったのは、法然上人の没後に起きた奇跡に由来します。
建暦2年(1212年)に入滅した法然上人ですが、その死後も旧仏教勢力の反発は続き、嘉禄3年(1227年)、比叡山の僧兵が東山大谷にあった法然の墓所を破壊しようと企てました。
この危機を知った弟子たちは、遺骸を密かに太秦の西光寺へと移しました。
翌安貞2年(1228年)正月20日の夜、石棺から数条の光明が放たれ、南西方向にある粟生野の念仏三昧院を照らすという奇瑞が起こったのです。
弟子たちはこれを法然の遺骸をこの地に遷すべき前兆と考え、同月25日に遺骸を念仏三昧院に運び、荼毘に付しました。
この光明の奇瑞にちなみ、四条天皇から「光明寺」の寺額を賜り、以後この名で呼ばれるようになりました。
西山派の拠点として
光明寺はその後、法然上人の高弟である証空(西山上人)とその弟子たちによって継承され、西山派教学の中心地として発展します。
嘉禎4年(1238年)に証空が光明寺第四世となって以降、西山浄土宗の拠点として確立されました。
室町時代から江戸時代にかけては皇室からの篤い信仰を受け、後柏原天皇や正親町天皇からの綸旨を賜るなど重要視されています。
しかし、その歴史は平坦ではなく、応仁の乱などの戦乱や火災により、幾度も焼失と再建を繰り返してきました。
現存する主要な建造物の多くは、江戸時代中期から19世紀にかけて再建されたものです。
明治時代に入り、1876年に浄土宗西山派の西本山となりましたが、1919年に教義解釈の違いから三派に分裂し、光明寺を本山とする浄土宗西山光明寺派(後の西山浄土宗)が確立され、現在に至っています。
光明寺の見どころ
西山浄土宗の総本山・光明寺には、歴史的価値の高い建造物や美しい自然景観など、多くの見どころがあります。
特に秋の紅葉シーズンには多くの観光客で賑わいますが、それ以外の季節にも充分魅力的な寺院です。
ここでは、光明寺を訪れた際に特に注目したい見どころを三つご紹介します。
四季折々の自然美と、貴重な文化財、そして信仰の歴史を感じる空間をお楽しみください。
- もみじ参道と四季の景観
- 御影堂と法然上人の遺品
- 釈迦堂と「頬やけの釈迦如来」
もみじ参道と四季の景観

光明寺で最も有名な景観が「もみじ参道」です。
総門を入って左手に分岐するこの参道は、約200メートルにわたって樹齢150年を超えるものを含む約250本のカエデが両側に植えられています。
江戸時代末期、嘉永7年(1854年)に、開基・蓮生法師の650回忌を記念して整備されたこの参道は、単なる偶然の産物ではなく、当時の住職が将来を見据えて計画的に造成した景観なのです。
秋(例年11月中旬から12月上旬)には、カエデが一斉に紅葉し、参道を覆うように枝を広げ、息をのむような真紅のトンネルを形成します。
散った紅葉が石畳を埋め尽くす「敷き紅葉」の光景もまた格別の風情があります。
もみじだけでなく、春の桜、初夏の青もみじ、冬の雪景色など、四季折々の自然美も楽しめる場所です。
御影堂と法然上人の遺品
光明寺の中心的な建物である御影堂は、宝暦4年(1754年)に再建された本堂です。
長岡京市内で最大の木造建築であり、京都の浄土宗寺院の中でも最大級の規模を誇ります。
派手な装飾は少ないものの、全体の構成美を意図した精緻な造りとなっています。
ここに安置されている本尊は、法然上人自作と伝わる「張子の御影」という紙製の肖像です。
寺伝によると、承元元年(1207年)の法難で讃岐へ流される途中の法然が、弟子湛空に形見として与えたもので、母からの手紙を用いて作られたと伝わります。
現在の像が着る法服は貞明皇后(大正天皇皇后)より下賜されたものです。
御影堂の右奥には阿弥陀堂があり、渡り廊下で結ばれています。両堂を中心に、境内には釈迦堂や御本廟など重要な建造物が点在しています。
釈迦堂と「頬やけの釈迦如来」

御影堂の左下に位置する釈迦堂は、元文元年(1736年)に再建された方丈にあたる建物です。
ここには「頬やけの釈迦如来」として知られる珍しい姿の仏像が安置されています。
この釈迦如来像は左手に鉄鉢、右手に錫杖を持つ特異な姿で、特に頬に火傷の跡があることからこの名で呼ばれています。
この像には興味深い伝説があります。
かつて淀にいた乱暴者の水次郎が、托鉢に来た僧侶の頬に腹立ちまぎれに焼き火箸を押し当てました。
しかし僧侶は静かに立ち去り、不審に思い後を追った水次郎が光明寺に入ると、本尊の釈迦如来像の頬に、自分がつけたものと同じ火傷の跡があったのです。
僧侶が釈迦如来の化身だったと悟った水次郎は深く改心し、善行に励むようになったと伝えられています。
この逸話は、仏の慈悲と改心の大切さを説く教訓として語り継がれています。
光明寺のおすすめ観光シーズンは?
光明寺の最大の見どころは何といっても紅葉です。
例年11月中旬から12月上旬にかけてが見頃となり、「もみじ参道」は息をのむような真紅のトンネルへと変貌します。
この時期は「紅葉の特別入山」期間として入山料が必要になりますが、普段は非公開の信楽庭などの特別スポットも公開されるため、多くの観光客で賑わいます。
しかし、光明寺の魅力は秋だけではありません。
春には桜が境内を彩り、初夏の5月から6月にかけては青々としたみずみずしい「青もみじ」が美しい季節です。
鳥のさえずりに耳を傾けながら、静かな参道を歩くのも格別でしょう。
また夏の暑い時期も、木々の緑が涼しさを演出してくれます。
四季折々の表情を見せる光明寺は、一年を通して訪れる価値があります。
光明寺のアクセス
光明寺は京都府長岡京市の西山のふもとに位置しています。
京都市内から少し離れた場所にありますが、公共交通機関を利用して訪れることができます。
駐車場は紅葉シーズンには特に設けられていないため、公共交通機関の利用が推奨されています。
京都の主要観光地からのアクセス方法をご紹介します。
京都駅からのアクセス
京都駅から光明寺へ行く場合、JR京都線を利用するのが便利です。
京都駅からJR京都線で「長岡京」駅まで乗車します(約15分)。
長岡京駅で下車したら、西口バス停②番のりばから阪急バス6、7、20、22系統のいずれかに乗車します。
「旭が丘ホーム前」バス停で下車すると、そこから徒歩約2〜5分で光明寺に到着します。
バスの所要時間は約15〜25分ですが、時間帯や経路によって変動することがあります。
JR長岡京駅周辺には市営駐車場もあり、紅葉シーズンには「パーク&ライド」の利用も推奨されています。
金閣寺からのアクセス
金閣寺から光明寺へのアクセスは、市バスと阪急電車、阪急バスを乗り継ぐルートになります。
金閣寺前から市バス12号系統または59号系統に乗り、「四条大宮」または「四条烏丸」まで行きます(約30分)。
そこから徒歩で阪急烏丸駅または大宮駅へ向かい、阪急京都線に乗車して「長岡天神」駅で下車します(約15分)。
長岡天神駅からは、バス停②番のりばから阪急バス6、7、20、22系統に乗り、「旭が丘ホーム前」で下車します(約10〜16分)。
バス停から光明寺までは徒歩約2〜5分です。
全行程で約1時間30分程度見ておくとよいでしょう。
光明寺の拝観料・拝観時間
以下は、光明寺の基本情報をまとめた表です。
項目 | 内容 |
---|---|
所在地 | 〒617-0811 京都府長岡京市粟生西条ノ内26-1 |
参拝時間 | 9:00~17:00 ※紅葉シーズン中は16:00入山締切、16:30閉門 |
拝観料 | ■ 通常期:無料 ■ 紅葉特別入山期間(11月中旬~12月上旬): ・大人:1,000円 ・中高生:500円 ・小学生以下:無料 ■ 特別公開:「信楽庭」など普段非公開のエリアを公開(紅葉期間中) |
御朱印・お守り | 各種あり(紅葉期限定の御朱印もあり) |
駐車場 | なし ※紅葉期間中は周辺道路も駐車禁止 ※長岡京駅西駐車場からのパーク&ライド推奨 |
所要時間目安 | 境内散策:約30分~1時間 紅葉シーズン:約1時間~2時間 |
最寄りバス停 | 阪急バス「旭が丘ホーム前」バス停より徒歩約2~5分 |
最寄り駅 | ・JR「長岡京」駅より阪急バスで約15~25分 ・阪急「長岡天神」駅より阪急バスで約10~16分 |
主な年間行事 | ■ 御忌大会(4月19日~25日) ■ 紅葉の特別入山(11月中旬~12月上旬) ■ 月釜(毎月開催/1月、8月、11月を除く) |
備考 | 光明寺は浄土宗の寺院。通常は無料参拝可能だが、紅葉シーズンは特別入山料が必要。非公開区域も公開される。 |
検索結果をもとに、光明寺の周辺スポットについての記事を作成します。
光明寺のおすすめ周辺スポット
光明寺の周辺には、歴史的・文化的な魅力に溢れたスポットが点在しています。
光明寺と共に「西山三山」と呼ばれる善峯寺と楊谷寺(柳谷観音)、そして学問の神様として知られる長岡天満宮は、ぜひ合わせて訪れたい見どころです。
かつては西山古道と呼ばれる山道で結ばれていたこれらの寺社を巡れば、京都西山エリアの豊かな自然と深い歴史を堪能できるでしょう。
特に紅葉シーズンには各所でライトアップなどのイベントも開催されます。
善峯寺(よしみねでら)

光明寺から車で約10分の場所に位置する善峯寺は、西国三十三所観音霊場の第20番札所として知られる古刹です。
山号を西山とする善峰観音宗の本山寺院で、御本尊は十一面千手観世音菩薩です。
長元2年(1029年)に源算上人によって開創され、千年以上の歴史を誇ります。
3万坪もの広大な境内は回遊式庭園になっており、四季折々の花々が楽しめる「天空の花園」とも呼ばれています 。
最大の見どころは、樹齢600年以上、全長37メートルにも及ぶ五葉松の「遊龍の松」です。
幹が地を這うように左右に伸び、龍が遊ぶ姿に見えることから安政4年(1857年)に命名されました。
この松は国の天然記念物に指定されています。また、元和7年(1621年)建立の多宝塔は国の重要文化財に指定されており、境内各所からは京都市街や比叡山を一望できる京都随一の眺望も魅力です 。
桜、紫陽花、紅葉など四季折々の自然美と併せて楽しんでみてください。
楊谷寺(柳谷観音)

光明寺から車で約20分の場所に位置する楊谷寺は、正式名称を「立願山楊谷寺」と言い、親しみを込めて「柳谷観音」とも呼ばれています。
清水寺を開いた延鎮僧都を開祖とし、西山浄土宗総本山光明寺の末寺として栄えてきました。
山の斜面に造られた伽藍は、奥ノ院と本堂が美しい庭園のある長い回廊で結ばれています。
特に注目すべきは、境内に咲き誇る約5000本のアジサイで、6月の「あじさいウィーク」は多くの観光客で賑わいます。
また、弘法大師(空海)ゆかりの「独鈷水(おこうずい)」と呼ばれる御霊水は眼病に効くとされ、毎月17日の縁日には各地からの参拝者が訪れます。
この日だけは通常非公開の御本尊・十一面千手観音を拝観することも可能です。
紅葉の時期には「もみじウィーク」が開催され、近年では「花手水」発祥の寺としても知られるようになりました。
長岡天満宮

光明寺から車で約15分の場所に位置する長岡天満宮は、学問の神様として知られる菅原道真公を祀る神社です。
御本殿は昭和16年に平安神宮より移築されたもので、東京帝国大学名誉教授の伊藤忠太氏の設計によるもの。
三間社流造、素木の本殿で端正で丈が高く美しい姿をしています。
平成23年には京都府の有形文化財に指定されました。
境内の最大の見どころは神社の東側に広がる八条ヶ池で、寛永15年(1638年)に八条宮智忠親王によって築造された灌漑用の溜め池です。
外周約1キロ、貯水量約35,000トンあり、池を二分する中堤は参道として使われています。
春は鮮やかなキリシマツツジ、秋には美しく色づく紅葉庭園「錦景苑」が人気を集めます。
紅葉シーズンには「花灯路」と呼ばれるライトアップも行われ、大鳥居から拝殿までの参道が幻想的に照らされる様子は必見です。
受験シーズンには多くの学生が訪れる学問成就の神社としても知られています。
金閣寺周辺でのお食事は錦鶴へ

お食事処錦鶴は、京都金閣寺から徒歩3分のところにあり、四季折々の京野菜や湯葉、湯豆腐といった京都の特産品を使用した料理を提供しております。
特に、直径30cmの大きなお椀に盛り付けられた「金閣弁当」は当店の名物で、これまで多くの方に愛されてきました。
錦鶴は、修学旅行でご利用いただける弁当から、お祝いや法要などの特別な機会にも対応可能な豪華な御膳まで、幅広いメニューを取り揃えています。
京都の食文化を体験したい方、大切な人とのお食事の場として、また日常的な和食を楽しみたい方は、ぜひ錦鶴をご利用ください。
質の高い料理と心のこもったサービスで、お客様の食事時間と京都旅行の思い出を豊かにするお手伝いをさせていただ蹴ますと幸いです。
光明寺についてよくある質問
光明寺の紅葉はいつが見頃ですか?
光明寺の紅葉は例年11月中旬から12月上旬が見頃です。
特に11月下旬頃がピークとなることが多いですが、気象条件によって多少前後します。
この時期は「紅葉の特別入山」期間として入山料が必要になりますが、普段は非公開の信楽庭や釈迦堂などの特別スポットも公開されます。
「もみじ参道」は約250本のカエデが紅葉のトンネルを形成し、散りもみじも美しい絨毯のような風景を見せてくれます。
光明寺と熊谷次郎直実(蓮生法師)はどのような関係がありますか?
熊谷次郎直実は、源平合戦の「一ノ谷の合戦」で自分の息子と同年代の若武者・平敦盛を討ち取ったことに深く苦悩し、法然上人の弟子となって仏門に入りました。
建久9年(1198年)、法力房蓮生と名乗った彼は、法然とゆかりの深い粟生の地に念仏修行のための草庵を建立しました。
これが光明寺の始まりです。
彼は法然を開山第一世と仰ぎ、自らは第二世となり、「念仏三昧院」の寺号を受けました。
光明寺の「光明」という名前の由来は何ですか?
「光明寺」の名前は、法然上人の没後に起きた奇跡に由来します。
法然上人は建暦2年(1212年)に入滅しましたが、嘉禄3年(1227年)に比叡山の僧兵が東山大谷の墓所を破壊しようとしたため、弟子たちは遺骸を太秦の西光寺へ移しました。
翌年正月20日の夜、石棺から数条の光明が放たれ、粟生野の念仏三昧院を照らす奇瑞が起こったのです。
この光明にちなみ、四条天皇から「光明寺」の寺額を賜り、以後この名で呼ばれるようになりました。
光明寺には駐車場がありますか?どのようにアクセスするのが便利ですか?
光明寺には参拝者用の駐車場はありません。
特に紅葉シーズンは境内および周辺道路が大変混雑し、駐車禁止区域も多いため、公共交通機関の利用が強く推奨されています。
JR長岡京駅からは西口バス停②番のりばより阪急バス6、7、20、22系統で「旭が丘ホーム前」下車、徒歩約2〜5分でアクセスできます。
また、JR長岡京駅西口の市営駐車場(長岡京駅西駐車場)を利用し、そこからバスで向かう「パーク&ライド」も便利な方法です。
まとめ
京都府長岡京市に位置する西山浄土宗の総本山・光明寺は、法然上人が初めて念仏の教えを説いた「浄土門根元地」として800年以上の歴史を持つ寺院です。
源平合戦で名を馳せた熊谷次郎直実(法力房蓮生)によって創建され、法然上人の遺骸から放たれた光明の奇瑞により「光明寺」と命名されました。
広大な境内には御影堂や阿弥陀堂など33棟の堂宇が点在し、本尊は法然上人自作と伝わる「張子の御影」を祀ります。
特に秋の紅葉シーズンには「もみじ参道」が真紅に染まり、京都屈指の紅葉名所として多くの人々を魅了しています。
ぜひ、京都に訪れた際は足を運んでみてください。